「迷走する帝国」
タイトルはアメリカのことではない。
今の時期にはピッタリではあるが、塩野七生著「ローマ人の物語」のサブタイトルのことである。文庫版にして第32、33、34巻(上・中・下巻)が書店に並んでいたので購入。やたらとカタカナの名前が出てくる本、たとえば翻訳本などは日本人には「読みにくい」が一般的だと思うが、この人の書いたものは実に読みやすい。翻訳本と違って、文章の構造が日本人の生理に合っているからだろうか。
翻訳といえば、現代アメリカ文学などの翻訳などもよく手がける村上春樹氏が来るノーベル文学賞候補として有力視されているのだとか。彼の小説は昔少しは読んだが、「羊を巡る冒険」までだから、ほとんど読んでいないに等しいかも。
なにより、個人的な理由として、いつの頃からか小説そのものを読む機会が激減した。それは今なお続いている。関心が無くなったと言っていい。職業柄、きっと楽しめなくなったのだろう。
ただ、たまに読むと小説ならではの文章の味わい=熟練した名人芸的、あるいは若い感性、素材の吟味、調理の巧拙、塩梅、美味い不味い、といったものは、むしろ若い頃より感じることが出来るので、味覚障害になったわけではなさそうである。仕事が完全になくなって、「完全解放」されたら、また読むようになるのかもしれないし、ますます関心がなくなるか、そればかりは自分でもわからない。
ちなみに、ノーベル賞作家で言えば、大江健三郎氏の小説も初期のものは、学生の頃、新潮社の全集まで揃えて読んだ。
が、大江氏は、その後ご自身のテーマが「魂の救済」方向へと大きく旋回していくことになる(と僕はそう思っているが、間違っていたらご容赦)。僕はそちらへは引っ張られず、関心を失い、彼の本を手にすることがなくなった。最後に読んだのは「万延元年のフットボール」か?
同賞最初の日本人作家・川端康成氏の小説は、これまた学生の頃、それも超有名なのをほんの少し読んだだけのせいか、そのときには何が面白いのかさっぱりわからなった。まだ幼い学生には、「駒子」などどうでもよかった。僕は、人間が叙情的に出来ていないのかもしれない。
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