« ネガポジが反転するとき | トップページ | バーンスタイン「ウェストサイド物語」 »

2010/10/09

武蔵野

昨日は18時半ばに家を出て、電車に乗って浦和方面へお見舞いに行った。武蔵野線を使ったが、この路線は浦和が、西浦和、武蔵浦和、南浦和、東浦和と4駅も続く。行けども行けども浦和という感じで、よほど大きな町なんだろうと感心する。

駅を降り、タクシーで病院へ向かう。
年齢が深まると共に、人の命の終焉のほうに接する機会が多くなる。否が応でも生よりは死のほうと親しくなっていくわけだが、こればかりはいかに忌み嫌おうとて抗いようのないことだ。見舞のお相手はまだ十分に若く、年金の受給が始まっていくらも経っていないという。色んな意味で惜しい話である。

帰路はタクシーで来た道を駅まで歩き、同じ武蔵野線に乗り込む。路線には、それぞれ利用客に特有の雰囲気があって、この武蔵野線も例外ではない。時間帯にも依るのだろうが、乗客の大半をスーツ姿のサラリーマンが占めており、開通した当初の閑散とした田舎電車というイメージとは裏腹に、しっかり普通の通勤電車となって都市化していることに驚いた。ただ、着ているスーツは草臥れている。若い女子の一部は、その草臥れたオヤジたちの存在自体に不服そうなオーラを全身から出していて、そこらへんも都心部の乗客とは違った雰囲気がある。

そういえば、武蔵野線の「武蔵野」という言葉も、「ノアの方舟」同様、かつて手塚マンガの「鉄腕アトム」の一遍で知ったというか、興味を覚えたクチである。ご存じ国木田独歩「武蔵野」の一節をモチーフにした「赤いネコ」(1953年)という一遍であるが、この作品にはいつものアトム以上にオトナな印象が強烈にあって、マセた子供だった僕は、武蔵野という言葉や反射的にイメージする東京近郊の風景に強い興味と愛着を感じるようになった。

上京後、はからずも通った大学が小金井市、つまり武蔵野にあった。僕はなんとなくだが、ずっと憧れてきた(ただの普通の田舎に過ぎない)武蔵野の真っ直中にいる自分にとても満足した。以来、住んできた場所もまさにその名そのものの武蔵野市であったりお隣の三鷹市であったり、現在住んでいる所もかつてはまさに武蔵野の代名詞だったようなところである。おそるべし手塚マンガの影響、三つ子の魂というやつかもしれない。

で、その武蔵野台地を走る電車を乗り継いだ後、更にタクシーに乗り帰宅。靴を脱ぐ前にラーメンでも食べに行こうという話になり(一旦靴を脱ぐと、また出かけるのが億劫になるので)、玄関も開けずそのまま車に乗り込み、6~700メートルほど先に最近新しくオープンしたラーメン屋に飛び込んだ。豚骨ベースの醤油ラーメン(500円)というものを食べたが、どろりとしたコクらしきものを出すのに、どうもマヨネーズを使っているようで、不味くはないが、ちょっとイージーかなと思った。

|

« ネガポジが反転するとき | トップページ | バーンスタイン「ウェストサイド物語」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ネガポジが反転するとき | トップページ | バーンスタイン「ウェストサイド物語」 »