卒業しない人たちの卒業パーティになってしまった
一昨日の卒業打ち上げパーティは予定通り行ったが、大震災の影響だろう、集まった卒業生は7人(うち二人が次期補助員)、補助員1人、講師二人、それに僕ら二人という、全12人のうち、これからも仕事を通じて頻繁に顔を合わせるであろう者が7人と過半数を超え、更に、先日帰宅難民となって泊まって行った者が二人。なんだ、いつものメンバーのいつもの宴会じゃん! という結果になってしまった。
宴会は宴会だから楽しんだわけだが、開催趣旨からすれば、完全に失敗といってよい。本来の趣旨は、卒業後にはもうほとんど会うこともなくなるだろうから、この二年間という時間を共有してきたことを最後にパーッと祝おう、というものなので、これからも頻繁に会うであろう者ばかりが集まったのでは、何もこのタイミングでやらなくとも別の機会に楽しめばいい話というわけだ。
こうなってしまった原因を考えてみたが、なんといっても今回の大震災の影響が大きいだろう。交通事情が不安定で外出が憚れる上に、卒業式が行われず、打ち上げへの流れ・勢いが完全に途切れてしまって学生間の繋がりが分断されてしまったこと。そのため、授業へ出るのに似た半ば義務感と、あんたも行くなら私も行くといった付和雷同性が希薄化し、躊躇する気持ちのほうが勝って、別に行かなくてもいいや、面倒臭い、となったものと想像される。どっちにしても、会に吸引するだけの魅力が足りなかったということになる。
一昨年の同じ催しでは、20人近く集まった。→2009年3月28日の記事
更に4年前には、卒業生の数も多かったせいもあり、なんと30名が参加している。→2007年3月26日の記事
次回は順当に行けば、2年後の2013年になる。
今は「もう止めようか」と僕ら二人共に弱気になっているが、まぁ、その時期が来ればわからない。
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