映画「ウォッチメン」と「コラライン」
いずれもDVDによる二本立てを自宅の“映画館”で観る。
「ウォッチメン」は初見だが、アメリカ人特有の“風土病”的映画で(※)、なんだか全然想像していたものとは違っていた。「コラライン」は劇場の3Dに次いで二度目。
昨日、眠いままに確かめもせず、映画「ウォッチメン」のことを「ウォッチマン」と書いたが、いま訂正。「マン」だとキン肉マンですね。
さて、その「ウォッチメン」について、アメリカ人特有の“風土病”的映画と書いたが、この映画を観ながら僕は、その昔図書館から借りて読んだ心理学者岸田秀氏の唯幻論からなる諸作、たとえば「ものぐさ精神分析」、特にアメリカ人の建国に関わるトラウマのくだりなどを思い出した。
アメリカ軍は日本に原爆を一度ならず二度までも落として、大量の非戦闘員の命を奪った。まさにホロコースト=戦争犯罪そのものだが、それは自由と民主主義・アメリカの正義とされ、異を唱えることは許されない。とりわけ被爆国日本に対し占領軍は、そのための洗脳を徹底して行い、それは未だに続いている。
その正義のイメージを具現化しているのが、アメコミに見られるようないかにもグラマラスなアメリカン・ヒーローたちだろうか。彼らは「悪」から仕掛けられた暴力に対し、「正義」を遂行する。より以上の暴力をもって。かつて先住民に対して行ってきたように。まずは非暴力的にライフラインを遮断し、生活が困難な状況に追い詰めておき、忍耐の緒が切れた相手が手を出してくれば、正当防衛のためのカウンターを打つというパターン。
それは「正義」であり、アメリカの行動原理となっている。自らの必ずしも美しくはない建国の歴史を否定するわけにはいかない故の「正義」という幻想。その幻想を無くせば、アメリカ人のアイデンティティは崩壊に繋がる。ゆえに、その行動原理による政治=戦争を繰り返す。イラクは記憶に新しいし、真珠湾~太平洋戦争もしかり、と。大雑把だが、そういったようなのが確か岸田秀氏の説だった。
この映画で、登場人物たちが核の恐怖に異様に怯えているが、それはかつて原爆を落として日本人を大量殺戮したことで、日本人がいつかまた自分たちに復讐の刃を向けてくるに違いない、自分たちなら必ずそうするはずだから、という被害妄想からくるのだろう。
ともあれ、ヒーローという存在を形而上的に描いた暗くて陰鬱なアクション映画で、面白みがあんまりよくわからなかった。途中寝てしまった。単に酒を飲んでいて眠かったせいもあるが、まぁ映画が退屈だったのも事実。
「コラライン」のほうは、動きや表情など、アニメとしての完成度が高い。子供向けだし、単純に楽しめる。
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