2012/10/28
2012/03/08
滅多に本を読まないが
眺める本は好きだ。
若い頃から本を読むのが苦手だった。本を読み始めると、そこに印字された活字にインスパイアされてすぐに別のことを連想し、そのまま果てしなく考えを巡らすほうにシフトしてしまう。目だけは活字を追っている風だが焦点は合っておらず、同じ行を目で延々追い続けるというのが昔からの僕の奇癖だ。だから、最初の2~3行目くらいから、ちっとも先に進まない。
まぁ単に本を読む集中力が無いだけの話だが、昔から悩みの種ではあった。もし僕に本を読むときの集中力があれば、物覚えはすこぶる良かったから、僕はもしかしたらそこそこの秀才だったかもしれないなぁと。ザンネン。(笑)
というわけで、活字をあまり読まなくて良いビジュアル系の本を何冊か入手。入手といっても、うちの三冊は、つれあいが毎年学校からいくらか支給される参考図書費(?)での購入であり、そのセレクトを僕がさせてもらっているだけのことなので、ちょっと手が出しにくい価格帯の、出来るだけマンガ創作教育に繋がりそうなヴィジュアル系のものを選んでいる。もちろん、僕の趣味嗜好も大いに入ってる。
・「新装改訂版 筑豊炭坑絵巻」山本作兵衛/海鳥社 6,500円+税
・「宇宙の地図」観山正見、小久保英一郎/朝日新聞出版 2,000円+税
・「目をみはる伊藤若沖の『動植綵絵』」狩野博幸/小学館 1,995円
・「1000 STEAMPUNK CREATIONS」 Qurry Books/1,874円($25)
「筑豊--」はご存じの通り、ユネスコ世界記憶遺産の指定を受けた絵の一部をまとめたもの。プロのイラストレーターが手際よく描いたようなものには決してない、人間宇宙の果てしない奥行きがあり、見飽きることがない。
「宇宙の地図」は美しくわかりやすくまとめられた宇宙の見取り図。宇宙の見せ方、そのアイディアが秀逸。
「伊藤若冲」、絵好きなら、一冊は必ず本棚に持っていたい。
「STEAMPUNK」、このワクワク感はもうマンガ、アニメ、映画の定番だろう。自前で購入。洋書だが、写真ばかりで活字はほとんどない。
あと、カイ・ニールセン、デュラック、ラッカムなどの古典的な名挿絵集なども揃えておきたい。
☆
昨日、日活株式会社より封書が届いた。
拙作を原作とするVシネ作品「オオカミが出てきた日」(堤幸彦監督)を今年3月1日よりスカパー!SVODで配信することになったらしい。販売予定価格 16作品まで1,050円(税込)とか。てことは、16本全部見る人だと、一本約67円。安ッ!
この作品は確か16mmフィルムで撮ってたはず。ハイヴィジョン放送だと、販売されたヴィデオテープよりは格段に綺麗なんじゃないかな。僕の原作とは大分趣が違って、「トリック」に通じる堤風おちゃらけな映画になってます。
2010/02/15
ディック・フランシス氏が亡くなった
競馬ミステリー小説で有名なディック・フランシス氏が14日亡くなったそうな。89歳。カリブ海の英領ケイマン諸島の自宅で死去というから、お金もあり、温暖地での悠々自適の晩年だったのだろう。
僕も彼の小説は5、6冊くらい読んだが、どれも面白かった。ハズレがなく、今も時々読みたくなる。主人公は毎作違うが、イギリス紳士らしい垢抜けたオトナでカッコ良い。
先月18日には、ロバート・B・パーカー氏も亡くなっている。
こちらも3~4冊読んだことがある。主人公の私立探偵スペンサーは、時代を反映してか、アメリカの探偵にしてはハードボイルドではなくフェミニストっぽい。まぁ軟弱な印象はあるかな。
いずれも若い頃の読書。
2010/01/28
誤字脱字が目立つなぁ…>ハリウッド・ストーリー・テリング
先般ちょっと触れた「ハリウッド・ストーリー・テリング」(田中靖彦著/愛育社)だが、元々のネタになっている本が、
「映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術」
という本。
僕は未読なので何とも言えないが、元ネタとなった「シド・フィールド~」が翻訳出版されているとなれば、オリジナルのほうを読めば事足りる可能性が高い。ただ、出版日から推して、例題とされている映画は「ハリウッド~」のほうが若干新しめかもしれない。どっちにしても、あくまでハリウッド式の、しかも20年くらい前に記された脚本理論というフィルターを通して読む必要があるだろう。
それにしても、「ハリウッド~」のほうだが、誤植・脱字がけっこう目に付いた。手書き原稿時代にはなかった、たとえば「捜査→操作」といった、いかにもワープロ特有の誤変換が多い。脱字は、「それにしても→それにしも」のような、これまたワープロ書きで起こりやすいタイプのものだ。
図版もない活字だけの277ページ、フォントは大きめ(=ページ当たりの文字数が少ない)、このチープな体裁で2,415円と決して安くはないのだから(※)、もう少しは校正に手間を掛けるべきでは。校正担当者としては、ちょっと恥ずかしいかも。
(※現在、在庫切れなのか、今日現在4,531円~4,751円のプレミア価格になっている)
2010/01/14
「ファンタジー撲滅委員会会長」
田中靖彦著「ハリウッド・ストーリー・テリング」を目覚めに読んでいたら、「危機感を感じた僕はファンタジー禁止令を発した」というフレーズに出会い、思わず笑った。
つまり、スピルバーグ、ルーカス、ニンテンドー、プレイステーション以降に育った映画学科の若者はファンタジーが好きというか、そういうプロットばかりを提出してくるため上記の発令をしたという、僕がこの10年近くマンガのクラスでイヤという程経験してきたことと全く同じことが書かれていたので、思わず笑ってしまったというわけだ。
ちなみに、僕は学校では「ファンタジー撲滅委員会会長」を自ら名乗っている(笑)。これを聞いて、学生の中には僕がファンタジーが嫌いのだと誤解する者もいるが、もちろんそうじゃなくて、「提出作品には将来伸びそうな芽を感じるものとそうでないものがあるが、そうでないものの最右翼で最も読むに耐えないものが君たちの描いたファンタジーなんだ」と。
ついでに、「君たち、ファンタジーを描いても良いけど、遠回りして時間を浪費するだけで、マンガを描くのに必要なものはほとんど身につかないよ」とも。
その甲斐あるやなしや、僕の課題作にあからさまなゲーム系ファンタジーを描いてくる学生はほとんどいない。
☆
ちなみにこの本、70~80%ほど読み終えたところだが、ハリウッド・メソッドによる物語構成術は何とかというハリウッドの脚本家が書いたタネ本が元々あって、それはウチのマンガコースでたびたび特別講師をしていただいている脚本家の白石さんの講義でもお馴染みのヤツだが、ハウツー性が高いので、物語作家になりたい者にとっては大いに役に立つことは間違いない。
ただ、あくまで映画という時間の制約のあるメディアのためのノウハウなので、人気がある限り何年も何十年もハナシが完結しないままだらだらと(?)続いていくような連載マンガに、そのまま援用出来るかというとどうかな? とは思うが、短編でしか勝負出来ない投稿用マンガとなると、まずここに書かれたフォーマットこそが必要だろう(※)。映画に於ける時間の制約と同様に、投稿用の(連載ではない読み切りの)短編にはページの制約と一話完結が義務づけられているからだ。
(※)もっとも、職業として成立させるには必要且つ十分ということであって、天才や狂気といったものの持ち合わせのない努力家タイプの者には、という但し書きが付くかもしれない。
2010/01/10
ペレルマンの評伝を読み終えて
「完全なる証明/100万ドルを拒否した天才数学者」(マーシャ・ガッセン著/青木薫訳/文藝春秋社刊)を読了。
例のポアンカレ予想を証明して、そのあと森に引き籠もってしまったユダヤ系ロシア人数学者の評伝である。但し、ペレルマン本人への直接の取材は全くない。なにせ、森に引き籠もったっきり誰とも会おうとしない人なのだから。なので、過去、彼の周囲にいた人々への取材のみで構成されている。
そのためか、ペレルマン自身の本当の心のうちは読むことが出来ない。あくまで、こうであろうという推測でしかない。
ポアンカレ予想と証明についても、この本からはほとんど何も知ることは出来ない。ほんの手がかりみたいなものは書かれてあるが、よくわからない。もっとも、詳しく書かれていたとしても、我々には更にちんぷんかんぷんな筈である。おそらく最初の一字一句さえ理解出来まい。なので、別に必要ないというか、無駄なページを買わされずに済むわけで、皮肉でも何でもなく、良心的な本と素直に感謝すべきかもしれない。実際、数学の本ではなく、人間についての本だから読みやすい。もっとも、その頭脳のほうは“人間離れ”しているようだが。
権威ある賞と100万ドルもの賞金を拒否するのだから、奇矯な人であることは間違いない。が、そうしてしまう気持ちだけはそれなりに僕にも理解出来る。まぁ、古今東西、天才は天才であるが故に、凡俗には到底理解出来ない孤独や苦悩を味わう羽目になるようで、やはり凡俗的な幸福観から言えば、あんまり幸福だった天才はいないのかもしれない。
ただ、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」である。
幸福観自体が凡俗とは違っているわけだから、現在のペレルマンの、俗と関わり合わなくて済む生活は彼なりに幸福なんじゃないかという気はする。
彼は森に引き籠もる前に、数学の(政治的・商業的な意味での)世界にすっかり嫌気がさして、数学をやめると言ったらしい。そして、波のように押し寄せるオファーをすべて拒絶して隠遁。
商業的な成功よりは、方法論としてのマンガの成功を追い求めていたどこぞのマンガ家もまた、(商業的な成功ばかりに群がる)マンガの世界に嫌気がさして、半ば隠遁しているが、ペレルマンと違って、断るオファーなど一つもない。(笑)
脱字が二箇所ほどあった。
ふうん、文春の本にもあるんだと思った。
2010/01/07
授業に役立ちそうな本
新学期が始まったし(僕は明日から)、授業に役立つような本はないかということを強く意識しながら、どさどさっと本を買ってきた。
1.「ハリウッドストーリーテリング」田中靖彦著/2,300円+税/愛育社/2009年6月25日初版
2.「アーティストの言葉~美の創造主たちの格言」2,800円+税/ピエ・ブックス/2009年11月24日初版
3.「コマ撮りアニメーションの秘密~オスカー獲得13作品の制作現場と舞台裏」オリビエ・コット著/3,500円+税/グラフィック社/2008年7月25日初版
4.「医学と芸術」2,800円+税/平凡社/2009年12月7日初版
1と2はともかく、3は僕の趣味、4はほとんど僕の悪趣味の範囲かもしれない。(笑)
☆
趣味ついでに、楽器屋で「究極のジャズ・アルト・サックス~超絶アドリブが・フレーズが吹ける!名スタンダード20曲(模範演奏+カラオケCDの2枚付き)」(2,800円+税/リットーミュージック)という楽譜本を買った。先日、試奏した「WAVE」も載っている。たぶん、一曲すら制覇出来ないとは思うが、まぁ楽譜が手元にあると色々と心強い。
2009/12/16
「天才」の話は面白いはず
注文していた「完全なる証明」(マーシャ・ガッセン著/文藝春秋社刊)が昨日届いた。先般この日記でも触れた「ポアンカレ予想」を“証明”したロシアの数学者ペレルマンの評伝が出ているというので、早速購入。副題に「100万ドルを拒否した天才数学者」、カヴァー腰巻きには「天才数学者はなぜ森へ消えたのか」とある。
昨日届いたばかりで、まだまったく手を付けていないが、面白そうな予感でいっぱいだ。天才に関する話が好きである。もっと言えば、天才には必ずと言っていい程つきまとう孤独の物語が好きだ。モーツァルトやエッシャーの孤独にも惹かれたし。僕は天才肌だから(但し1/100,000スケール)、そこらへんへの感度だけは妙に高いのである。
更に、数日前に、やはり注文していたDVDの一部が届いた。
ジム・ジャームッシュ監督「デッドマン」と、ジャンリュック・ゴダール監督「小さな兵隊」の二本。
前者は、そういう映画があることすら知らなかったので買ってみた。後者は、大学生時代に、新宿のミニシアターで観た。ウチの離れの映画館とどっこいどっこいのスクリーンサイズだったと思う。そんなミニシアター故に、上映途中でフィルムが事故って裏返しになり、音声が再生出来なくなってしまった。結局最後まで回復することもなく、何が何だかわからないまま映画は終了した。なので、もう一度ちゃんと観ようと思って購入したものだ。
ゴダール作品は、当時の“革命的”映像キッズにとって避けて通れない映画だった。万事背伸びするのがカッコ良い時代でもあったから、難解なものほど必死に食らいついて観たものだ。紀伊国屋シアターなど、テーマ性の強い映画を上映する機会が多く、しばしば行ったが、ぐーすか寝ることも多かった。
というわけで、まだ未読未開封の作品ばかり。
2009/10/14
「最後の努力/ローマ人の物語」
塩野七生著「ローマ人の物語」だが、文庫版で読み始めた手前、既に完結した単行本に浮気することなく、気長に文庫版の続刊が出るのを待っていたら、先日(奥付は2009年8月29日)書店に並んでいたので早速購入して読んだ。
「最後の努力」(上中下/新潮文庫)35、36、37巻で、単行本だと13巻目にあたる。このシリーズで最も面白いと思ったのは、僕に限らず、おそらく誰でもそうであるように、ハンニバルを序章に、カエサルが「賽は投げられた」とルビコン川を渡り、アウグストゥスが古代ローマ帝国の初代皇帝(市民の第一人者)になるあたりだ。シェークスピアは言わずもがな、過去多くの小説や映画の題材に取り上げられてきた。イギリスBBC制作の大河ドラマ「ローマ」の舞台もほぼこの時代。中でも超売れっ子キャラはクレオパトラだろう。普通は「歴史の陰に女あり」なのだが、彼女は男ばかりの古代ローマ史の中にあって、紅一点、堂々表舞台に登場するのだから、まさに役得のキャラクターといえる。
で、今回の「最後の努力」も、ほんの今しがた読んだばかりなので余計に印象が強いということもあるが、あの広大な古代ローマ帝国が、一神教であるキリスト教支配の世界に取って代わっていく歴史の瞬間を目撃したという意味で、この「ローマ人の~」シリーズの中でも特に感慨深いものがあった。まさにコンスタンティヌス帝による「賽は投げられた」であり、以降の世界は現代に至っても尚、キリスト教とは切っても切れない、切りたくても切らせてくれない関係になるのである。この2,000年間の人類の歴史に、良くも悪くも一刻も休むことなく、最も強く密接に関わってきた宗教がキリスト教なら、最も強い影響を与えた人物がキリストということになろうか。
2009/08/20
小説「朗読者」
老眼が進み、メガネが合わなくなってきたので、文庫本のような小さな字だと追いづらくなってきた。メガネを新調すればある程度は解消することだが、このところ毎月大きな出費が続いているため(今月は車検代)、もう少々我慢というところか。
そんな目で、小説「朗読者」(ベルンハルト・シュリンク著)を読んだ。映画(「愛を読む人」)では、語り部である主人公(マイケル)の大人になってからの気持ちが、イマイチ曖昧で不可解に思えたからである。ハンナのほうは、映画からもその内面がよく伝わってきた。原作となった小説を読んだ今も、ハンナは映画とほとんど変わらぬ像をくっきりと結んでいる。
マイケルのほうも、別に映画のそれとズレがあるわけではないが、焦点がハッキリしないぼやけた像だったため、小説を読むことで修正を行うことが出来た。それでも、この主人公の内面に横たわる不可解な部分は相変わらず残ったが、それは人間という生き物の持つ永遠の不可解さであろう。文学はそこにこそ存在し息をする。
主人公の独白による典型的な一人称小説で、登場人物も極端に少なく、大抵の日本人を煩わせる馴染みのないカタカナの名前が「ハンナ」以外にほとんど出てこないので、混乱させられることなくすいすい読める。ただ、主人公の内面はかなり複雑だ。おそらく作者がそうであるように、とても内省的な性格なのだろう。加えて知的で繊細で几帳面である。時に、頭でっかちともいう。まぁ、内省的な人物に、後者の性格付けはオプションというよりはセットみたいなものだろうか。
その知的で繊細で几帳面な性格が、読者からすると、他者に対して時に非情で冷淡な行動をもたらすといった印象を受けるのであるが、それは映画でも同じだった。ただ、何度も言うように、映画では普通のレンズでマクロ撮影したような、ぼやけた主人公像になっており、観客には主人公の行動の不可解さが、人間の複雑さではなく、単なる解像度不足といった形で出ていたように思う。つまり、描き切れていなかったということになろうが、まぁ、それでも映画は小説にちっとも劣ることがなく、その完成度は高かったように思う。
小説にはあって映画にないシーン、あるいはその逆もいくつかあるが、総じて映画は原作に忠実に作られている。
より以前の記事一覧
- 本が三冊 2009.02.10
- 「ハケンvs正社員」 2009.02.01
- 「GHQ焚書図書開封」西尾幹二著 2009.01.18
- 今日届いた本 2008.11.11
- ノーベル賞作家といえば 2008.10.04
- 「迷走する帝国」 2008.10.04
- 「シズコさん」佐野洋子著(新潮社) 2008.08.16