映画「警察日記」(1955年/日活)
先般、NHK-BSで放送していたのを途中からしか見てなかったので、ちゃんと見ようと録画をアタマから見る。
人情たっぷり、この時代の記憶がある人間にはノスタルジーも手伝って、涙無くしては見られない映画だ。警察沙汰になる事件は貧しさを原因とするものがほとんどのせいか、時代の健全さが漂う。犯罪は犯罪だが、現代の動機さえも結局ハッキリしない理解不能な犯罪に較べればという意味だ。
もちろん、この時代にも凶悪な事件があったし、強権による陰謀や冤罪なども多く生まれている。だが、下々の生活感覚としては、この映画ほどではないにしても、概ねこうした人情を基調とした健全さに包まれていたように思う。
こういう映画を見るたびに、近代日本が何を得て、何を失ってきたかがおぼろげながらに分かる。失って良かったものもたくさんあるし、得たものの中に現代人を悩ませているものもある。更には、縦割り行政の役所など、今も昔もまったく変わっていないものもある。
1955年といえば、たかだか50数年前である。が、その風景の劇的な変化に驚く。舗装されていない道路をボンネットバスが走る。犬も自由に歩いている。花嫁さんが花嫁衣装で身を包み、角隠しをして自宅からバスや列車に乗って嫁入りする。オート三輪車。川に掛かる木橋……。
こうした風景は、僕にも記憶があるものばかりだ。小学校時代の通学路の半分は未舗装道路だった。ボンネットバスはセルスターターが付いていなくて、クランクの棒を回して発動していたし、僕の上の姉は、まさしく婚礼衣装に身を包み、自宅からバス(タクシーだったかな?)に乗って嫁いでいった。犬は野良犬のみならず、飼い犬もフリーで道路を往来していたし、木橋は手摺りなど無かった。
過日twitterでも触れたが、子役・二木てるみの可愛さが際立っている。近頃の演技の達者な名子役たちと違うのはその存在感。二木てるみは、そこに写っているだけで既にドラマ性がある。子供が本質的に持っている、愛らしいがゆえの存在の危うさや哀しさを体現している。森繁久彌も当然ながらうまいし、東野英治郎も殿山泰二も杉村春子もなんというリアリティだろう。他にも若き日の三国連太郎、宍戸錠、岩崎加根子など名優がいっぱい。