庭のヤマモモの木に営巣したヒヨドリの雛の声
巣を覗いてみたいが、親鳥が巣を放棄するといけないので自戒している。そのため、今現在どこまで育っているかはわからない。音だけが手がかりである。iPhoneで録音してみた。ピーピー元気というか、うるさいというか。
12月12日
庭の木が大きくなって、落ち葉の量も倍増。今日はその落ち葉を集めて堆肥ポッドに入れたりしていたが、到底入りきれない。諦めて、落ち葉の山をいくつか作って時機を待つことに。
写真は赤くなれなかったトマト。未だ花も咲いている。
カメラの特性で花の色が青みがかっているが、実際はもっと赤みのある色だ。
他にもホテイアオイやら、水槽から分植した水草などが茂ったせいで、池が小さく見える。精一杯大きく造ったつもりだったが。
2013年06月15日(土)
猫の仕業か? 今朝、丸一日ぶりに庭の池を覗いたら、何やら大きな塊が二つ浮かんでいる。一つは池の中央付近、もう一つは池の中に置いたメダカ用の鉢に。その形から、それとなく鳥の死骸であることがわかる。どうもヒヨドリの雛っぽい。なんでこんなことになっているのか? 08:39:27
考えられるのは猫の仕業。ヤマモモに作った巣は地上からの高さが3M、ウッドデッキからだとせいぜい2.5Mくらい。猫だと容易に登れるだろう。猫はその戦利品を池周りに運んだ後、飽きて捨てたのだろう。こんな低いところに巣を作って大丈夫かなぁとは思っていたが、やっぱりやられたか。 08:46:02
まずは庭に穴を掘り、それから死骸を網で掬って穴の中に埋めた。彼らが無事巣立つのを見届けられなくて残念である。ツバメの巣が我が家にあったときも、猫に巣を一部壊され、2羽の雛が犠牲になった。以来、その巣にツバメは来なくなった。やだね、放し飼いの猫は。かわいくない。迷惑。 08:51:09
どうやら雛はその二羽だけのようだ。木の枝をもう一羽と間違えて勘定したらし。死骸の写真も一応記録として撮っておいた。羽毛は生えそろっていないが、体格はもう親鳥と遜色のない大きさだった。警戒心が比較的希薄なヒヨドリ夫婦で、だからかわいかったが、こんな結果に。残念である。 09:04:30
下は死骸を土に埋める前の写真だが、見たくない方はクリックなさらないように。
自作の池は今なお水漏れが止まらない。
といっても、ある水位まで下がると漏れがほとんど止まるので、そのまま稼働中だが、数日置きに汲み置きの水を足すようにしている。その水を貯めてある発泡スチロールの箱の底を見たら、面白い文様が描かれているではないか!
更にズームアップして撮ると、
迷路のような、まるでホアン・ミロの絵を彷彿とさせる図柄である。これをそのままキャンバスにコピーしたものがMOMA(NY近代美術館)あたりに飾られていても全く違和感がないし、誰も文句を言わないだろう。
ところで、作者は誰?
虫? もしかして、虫が動いた軌跡?
自然が作るアートは予期せぬ驚きに満ちている。
この3年ほど、フクロミ病に罹って実が生らなかったユスラウメに、今年久しぶりに実が付いた。強い剪定をしたのが効いたのか?
ヤマモモも順調。
更にシャクヤクが二年ぶりに咲いた。今年は蕾がたくさんなので、しばらく楽しめる。
そして、数日前の写真だが、エゴノキが満開、ルッコラの花が咲き乱れている。
あのあと、ローマ平板をカットするという、もしかしたら手痛い失敗と挫折が待っているかもしれない難工事に突入。
で、まぁ、こんな風に面の両側からグラインダーで溝を掘っていく。ものすごい粉塵と、近所迷惑な騒音をまき散らしながら……。
ある程度溝が深くなったら、石版を持って下のコンクリートにコツンとぶつけてやれば、けっこうライン通りにきれいに割れた。大成功である。割れた断面を更にグラインダーで綺麗に整えたあと、張り出し部分に置いてみた。
ただ、置いてみただけである。
う~~~む、石が新しすぎて周りにまったく馴染んでない。浮いている。まるで空気が読めないヤツみたい。すごい違和感だ。この張り出しのせいで、庭が一挙に過密になり、ゴチャゴチャと乱雑そのものになった感がある。それまでの自分なりに美しかった庭が台無しっぽい。
俄然不安になって、いま現場を見てきた。
ナマで見ると、案外そうでもない。写真は広角レンズで撮っているため、この張り出しが必要以上に大きく感じるのだ。実寸は横1m、たて0.8m。しかも、石が新しすぎる。
完成したらせっせと汚さねば。
昨日、フィットネスの体重計に載ってきたが、全然体重が減っていなかった。というより、逆に増えていた。昨日滝のように汗を流しながら穴を掘ったのに……
前の記事で、ベランダの拡張工事で「せり出し」と書いたが、「張り出し」に訂正。張り出しとは、舞台の一部を客席側に飛び出すように作って、三方方向から観劇出来るようにしたものだそうで、今回作っているのはそれに一番近いかなと。
というわけで、いま現在の進行状況はこんな感じ。
これからブロックの外側にコンクリートを打ち、モルタルでツライチにしたあと、ローマ平板を載せる。
それにしても、土木作業はかなりの肉体労働である。
穴を掘るのも、掘った土を運ぶのも、コンクリートを捏ねるのも流すのも整えるのも、何もかもが間違いなく重労働の類である。そのくせ、水平を出したり、ミリ単位で長さを揃えるなど、重労働のイメージとは真逆の、ものすごく繊細な作業も含まれる。といっても、やっているうちに疲れてくるので、「ま、いっか」になってしまうのだが。
昔、本四架橋を電車に乗って渡っているとき、その橋の壮大さに、人間ってすごいものを作るなぁとつくづく感心したことがある。いかにも重厚長大そのもの、数メートル単位の構造物だけど、繋ぎ合わせのボルト穴など誤差が0コンマ何ミリという繊細そのものの精度で作られているわけで、本当にすごいと思った。
ピストン西沢の番組(J-Wave)を聴いていると、色んな面白いラジオネームの投稿が登場するんだが、昨日、「二階から胃薬」というのがあった。それを聞いた瞬間、僕は「胃薬」より「痔薬(座薬)」のほうが面白くね? と思ったわけだ。二階から痔薬……
という話をしようと思ったわけじゃなくて……
今日は、我が迎賓館の庭にこんな穴を掘った。
右下に写っている池を掘ったとき体重が念願の60kgを一瞬切ったので、その味が忘れられず、また掘ってみた……わけでは無く(ま、体重は間違いなく減ると思うが)、ローマ平板を並べたベランダにせり出しを作ろうと思い立ったからだ。
予想完成図は下の加工写真の通り。
せり出しの中の四角くカットされた部分(600×400mm)には、ゴロタ石と砂を埋めて河原の一部を切り取った感じに演出しようと思う。炭を熾して炉にも出来る。キャンピング用のコンロでも雰囲気だけは出るかも。ウェーバーのBBQグリルを使う時は、このせり出しの上に置く。
ちなみに、ローマ平板がこの予想図の通りに、きれいにカットできるかはやってみないとわからない。
しかし、庭をデザインするのって、こんなに面白いとは思わなかったなぁ。職業を間違えたか? つれあいには、公園みたいだと言われるが。ま、一代限りのお楽しみアート。僕らがこの世から去ったら、この庭も建物もおそらく壊されて更地に戻る。が、来訪者の記憶には残るだろう。それでいいのだ。(バカボンのパパ調)
先日は踏み石周りの砂利の中から生えていたが、その50cm東の土の上にも一つ、この分だとまだあるなと思って、更に進むと、ローズマリーや葡萄の根元付近にパラパラとある。都合4個、先日の2個(まだ食べていない)を合わせると全部で6個。まだ見つかるかも知れないし、これって豊作なのかな?
しかし、どこからやって来たんだろう?