今回行った温泉は白骨温泉。
宿は斎藤別館で庶民的。200M上流にある本家の斎藤旅館は団体さん向きのうんと豪華な造り。実際、ジジババを載せたでっかい団体バスが2台駐車していた。もちろんお値段も倍。 ただし、庶民派別館客も本家の風呂が利用できる。
風呂の大きさも掛けた金も違うが、温泉の湯自体は、当然ながら豪華版も庶民版も同じ。硫黄臭の強い白濁した温泉で、湯船やその周りは石灰カルシウムが溶けてこびりつき石化している。人間が湯に入ると、骨が溶けて白骨化するからそう呼ばれる。
というのはもちろんウソで、ハッコツではなくシラホネと読む。
近くに乗鞍温泉がある。実はやはりつれあいと二人で99年10月にその乗鞍温泉に一泊したことがあって、まったく同じ泉質だった。今回ここを選んだのは、この湯にまた入りたいと思ったからだ。
朝夕食はどちらも山幸中心のシンプルな料理。写真は朝食で、温泉粥が美味い。
☆
上記99年の旅行は、まさに僕の生き方そのままの行き当たりばったり。最初は日帰りのつもりでとりあえず中央高速に乗って信州方面へ。岡谷で長野自動車道へ進み、長野で降りて善光寺を見物。更に北へ向かって大町へ。昔ちょっと知り合いだった小説家さんが大町出身で、「東京は山が近くに見えないので何かヘン」みたいなことをおっしゃっていたことを思い出し、なるほど、それでは僕らも大町からの眺めをチラッと体験しようと足を伸ばしたわけだ。
大町でざる蕎麦を食べたあと、確か駅近くの観光案内所へ行き、今夜泊まれる宿はないか訊くと、ホテルからまつ荘を紹介してくれた。温泉である。野天風呂もあった。食事にママカリが出てきたのを覚えている。朝夕食付きで一人7,000円くらいだったか。
この大町が黒部ダム観光ルートの基地だということを、ここへ来て初めて知る。でもって、翌日は黒部ダム見物。船に乗ったことだけを書いたWeb日記がある。
黒部ダムに遊覧船が浮かんでいたので乗ってみた。
景色的には、岸から観えるものと大して変わりなかったが、こんな標高の高い場所で船に乗っている事実というのが、なんとなく愉快で面白かった。
いったい、この船はどうやって運んだのか?
当然、部材を小分けして運び、湖岸で組み立てたのであろうが、「地下鉄はどこから入れたんでしょうね」という昔懐かしい漫才のネタのようで、ちょっとした疑問を楽しむことが出来るのも旅の面白さか。
ヨジラ 99.10.7 1:11 PM
黒部ダムを富山県側に降りれば富山へ行けるので、そのまま行ってみたかったが、車を長野県側に置いてあるので戻らなければならない。
再び長野方面へ車を走らせ、長野自動車道を松本で降りてみた。せっかくだから、松本城を見ようかと。だが、もう既に日は大きく傾いており、もはや見物する時間はほとんど残されていない。今回は諦めてそのまま帰宅しよう……と思ったが、いや待て、せっかくここまで来たんだから、高山まで足を伸ばしてみようということになった。
しかし、高山へ行き着くまでにすっかり日が暮れてしまった。腹も減った。午後6時をとっくに過ぎており、これ以上遅くなると面倒なことになる。
乗鞍温泉郷という看板が見えた。ホテルや山荘が集まった一角をぐるりと一周し、あまり値段の高そうでない造りの旅館を物色。ある山荘風のホテルに入って、今夜部屋は空いてるか尋ねると、大丈夫だという。更に夕食はと訊くと、それも何とか出来るという。
壁がホームセンターで売っているようなプリント合板の安普請な作りの旅館だったが、冒頭書いたような白濁した泉質の温泉である。温泉らしい温泉で、温泉気分を満喫。
その翌日は高山へ行き、観光客になりきる。
名所である陣屋近くの店で、昼食に僕はカツ丼を食ったが、いまどきあの古いタイプのカツ丼を東京で出したんじゃ、客は寄りつかないだろうなというようなカツ丼だった。
そのあとの高山での過ごし方はあまり覚えていないが、帰路は急なスラロームだらけの真っ暗な山道を通ったことだけはよく覚えている。途中でムササビのような小動物に遭遇したり、往路で使った有料道路を帰路では使わなかったから、けっこう“楽しい”ことになったというわけだ。
☆
とまぁ、前回は行き当たりばったりの旅行だったわけだが、今回は一応宿も予約しておいたし、初日の予定には松本城見物のリベンジもしっかり組み込んだ。
が、翌日は何も考えていなかったので、また再び行き当たりばったり。真田幸村の上田市へ行こうかどうか迷ったが、さほど戦国武将に興味があるわけでもないので、諏訪へ降りて、諏訪大社、北澤美術館、高島城を見物したあと帰路に着く。総距離約500km、掛かった費用(下記焼肉込みで)6万円くらいか。
山の料理ばかり食べ続けていて、それはそれでとてもヘルシーで美味しかったのだが、そろそろ脂たっぷりの肉が食べたくなり、東京のインターを降りるとすぐに焼肉屋に直行。